社長挨拶
当社のホームページをご覧いただきありがとうございます。
当社は、昭和34年に札幌郡手稲町大川(今の手稲本町2条2丁目)で、両親が『手稲売炭所』を開店し、石炭を専門に販売配送をしていました。開店の準備には1年ほど掛ったようです。
父は当時の宗谷炭鉱(株)札幌本社の経理課に勤務していたせいもあり、石炭に関する知識が豊富でした。道内の炭鉱の石炭を全て扱い、店頭には小さな箱を並べてたくさんの石炭見本がありました。見本には「銘柄」と「カロリー数」、「価格」が記されていました。暖房用には、風呂釜用には、それぞれどの石炭が合うか的確に説明をしていました。詳細を解りやすく説明する父のその姿に私は感心したものです。
石炭には特塊炭、中塊炭、そして粉炭とあるのが興味深いものでした。価格が高い石炭は「あく」がほとんど出ないのが特徴で、「羽幌炭」が白煙炭とも言われ第一級の石炭でした。
石炭用の「稲留式」や「福禄式」の暖房用ストーブも相当に売れておりました。ストーブの構造は簡単ですがよくできていて、製作メーカーの工夫が感じられました。
夏には手稲駅に道内の炭鉱から貨車ごと石炭が着きます。それを決められた時間内に積み降ろしをします。ですから、私も時々手伝いをさせられ、手には大きな豆をつくったものです。
貯炭場は自宅があった当時の前田52番地(今の前田1条6丁目)にありました。もともと農家でしたから広い土地がありました。そこに国鉄から払い下げの枕木をぐるりと並べて塀を作り、どんどん石炭を運んできて貯炭しました。石炭には「むしろ」を被せ、日差しから守ります。暑い日は上から水を撒くのが私の役目でした。
この貯炭の大きな山は、年に3回ほどできますが、秋の終わりには空っぽになります。すごい販売量だと思いました。
これが当社の始まりです。
両親が守ってきた、真心・安全安心をお届けし、地域のお客様との心のふれ合いを大事にすることが当社の基本姿勢です。